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山口地方裁判所 昭和55年(む)101号 決定 1980年8月13日

被請求人 西島政二

昭二九・一二・一七生 無職

主文

本件請求はこれを棄却する。

理由

一  検察官の本件請求の要旨は、左記(1ないし3)のとおりである。

1  被請求人西島政二(二五歳)は、昭和五四年一二月一一日宇部簡易裁判所において、窃盗罪により懲役一年、三年間刑の執行猶予及び保護観察の言渡を受け、右判決は同月二六日確定した。

2(一)  被請求人は、右保護観察の開始に際し山口保護観察所から執行猶予者保護観察法五条所定の法定遵守事項の履行を指示され、とりわけ同条一号の善行保持の義務を履践するため、<1>就職し辛抱強く働くこと、<2>強い信念をもつて誘惑に負けないこと、<3>他人のものに手を出さないこと、<4>毎月担当の保護司を訪問し、生活状況を報告しその指導に従うこと、等の指示事項の指示を受け、同保護観察所へ誓約書を提出して右指示に従う旨誓約した。

(二)  しかるに、被請求人は、<1>昭和五五年一月二一日被請求人の父親所有の自動車内から同人所有の郵便貯金通帳(貯金残高一二万円)一冊、印章一個及び現金三万円を、同年二月一〇日父親所有の柱時計一個を自宅から、それぞれ盗み出し、<2>同年四月一二日山口県宇部市内のスーパー店舗内においてラジオカセツト一台を盗み(万引)、<3>自動車運転の免許を有しないで、同年七月九日父親所有の普通乗用自動車を自宅から無断で乗り出し、同日と同月一二日の二回同県小野田市内で二回交通事故を起こし、福岡、広島までも右自動車を乗りまわし転転として家には帰らず、<4>保護観察開始後今日まで僅数日働いたのみで、殆んどパチンコ店等に出入りして無為徒食の生活を送り、<5>この間一度も担当保護司宅を訪問していない。

以上の諸事実は、明らかに前記指示事項(一の2の(一)の<1>ないし<4>)に違反するものである。

(三)  しかも、被請求人は、山口保護観察所担当主任官及び担当保護司が熱心に指導して来たにも拘らず、終始保護観察に対して拒否的逃避的で、面接指導を受けるに際しても徒らに弁解を繰り返すのみで、折角補導を委託された山口更生保護会からも無断で逃げ出す始末であつた。

(四)  以上の次第で、被請求人は、保護観察下において遵守すべき事項を遵守せず、その情状が重く、このまま保護観察を継続してみてもその更生を期待することは最早や不可能である。

3  よつて、被請求人を矯正施設に収容し、矯正教育を施してその更生を図るべく、山口保護観察所長の申出に基づき、前記刑の執行猶予の言渡の取消を求める。

二  そこで審按するに、宇部簡易裁判所裁判官及び同裁判所書記官作成の調書判決謄本、検察事務官作成の前科調書、保護観察官作成の被請求人に対する質問調書並びに面接票(被請求人に対するもの二通、被請求人の父親に対するもの一通、いずれも謄本)、被請求人作成の誓約書(謄本)、検察事務官作成の「保護観察者再犯通知書」、口頭弁論における証人服部重郎(担当保護司)並びに被請求人の各供述を総合すれば、検察官主張の前記一の1、一の2の(一)ないし(三)の各事実を認めることができる。

進んで、被請求人の家庭環境とその人間像並びに保護観察の経過につき検討してみるに、前掲各資料に被請求人の司法巡査に対する昭和五四年一一月七日付供述調書(取寄記録)並びに本件口頭弁論における証人西島武政(被請求人の父)、同山田通夫(山口大学医学部教授、同大学附属病院精神科医師)、同村田正人(山口赤十字病院精神科医師)の各供述を併せ総合すると、次の諸事実を認めることができる。

1  被請求人の家族の状況等

父親西島武政(六〇歳)は、現在小野田通運株式会社で作業員として勤務し、月収約八万円を得ているが、後記のとおり他の家族がいずれも極度に病弱であるためその者らの食事の用意等家事の大部分をも負担している。

母親西島操(五九歳)は、昭和五〇年ころまで住居地で食堂を営んでいたが不振のため廃業し、以来次第に知能の低格化をきたし、現在では家事労働さえ不能な状態に陥つている。

実兄西島辰雄(二八歳)は、小野田市内の中学校での成績が良かつたためわざわざ修道高等学校(広島県)へ進学したが、同校を卒業後精神分裂症(破瓜型)に罹患し、一時山口大学医学部附属病院精神科へ入院し、現在は同病院へ通院加療中で無職である。

以上の三名と被請求人の四名が同居しており、被請求人の実姉(三一歳)は嫁して茨城県土浦市内に居住しており、被請求人に特に親しい友人はない。

2  被請求人の生育歴及び身心の状況

(1)  生育歴

出生時失神状態(帝王切開による満期分娩)であつたが、その後順調に生育し、小野田市内の小、中学校を概ね中以下の成績で、殊に中学三年時は殆んど最低の成績で卒業し、私立宇部鴻城高等学校(一か月で退学)、私立下関高等学校(二か月で退学)、更に夜間高校へ進むとして東京、大阪、福岡方面にしばしば出奔し、おくれて昭和四六年四月山口県立小野田工業高等学校定時制(夜間)に入学したが約三か月後に学則に拘束されずに自由に単車に乗りたいとして退学し、同年七月ころからは、当時母が営んでいた食堂を手伝うでもなく気儘な生活に明け暮れ、母親が右食堂の営業を止めた昭和五〇年の秋ころから昭和五四年一二月ころまでは時折(一か月に数日程度)日雇仕事に出る位で定職には就かず、無為に過ごす日が殆んどで、少年時に他人の単車の無断乗り逃げをして保護観察処分を受けたことはあるが、前科は有しない。

(2)  身心の状況

被請求人は、昭和五三年二月ころから根気の欠乏が著しくなり、またテレビの声が自己を侮蔑しているとして極度にそれを気にしたり、ことさら足音をたてて廊下を歩いたり、更に「ソツソツソツ」と意味もない声をひとりでに出すなどその言動に奇行がみられるようになり、生活態度も午前一〇時ころ起きて昼間は家の中でなすこともなく過ごし、夜になるとパチンコ遊びに出かけ、深夜になつて帰宅するというだらしのない有様となつて来た。このため、そのころ父親において、山口大学医学部附属病院精神科に被請求人を同道し、前記同大学医学部教授山田通夫の診察を受けさせた結果、同医師から妄想気分に襲われて不眠になやみ、感情、情緒面が鈍麻し、意欲面では移り気でだらしなくなつているとの所見から破瓜型精神分裂症と診断され、直ちに入院による治療をすすめられたが、経済的な事情(前記被請求人の兄も同じ病名で同病院に入院していたこと等による)もあつて、それ以来同病院へ通院して治療を受けさせることとした。しかしながら、通院したとはいえ入院治療に比して薬の服用が不規則不徹底になる等のためその効果がさほどみられないまま昭和五五年に入り、同年一月末の時点での同教授の診断所見は治療効果が殆んど認められないとするものであつて、同年四月二三日に二週間分の投薬を受けたのを最後に以後通院が途絶えて今日に至つている。

しかして、被請求人の精神障害の症状としては、情緒面において感情が鈍麻し、意思面では怠惰でだらしなく無気力で物事をやり遂げることができず、知的能力においてはさしたる劣弱化を来してはいないものの、言行の不均衡不一致が著しく、生活行動も、家出、放浪等をはじめとする衝動的な社会不適応行動(反社会的行動)が顕著であり、結局人格全体に崩れを来していて社会から信頼を受け得ない状態を呈しているものである。

(3)  保護観察の経過

被請求人は、保護観察開始後担当保護司からも早期の就職を促がされ、工場内での単純作業の職を求めて小野田市内や宇部市内をさがしまわつたが昭和五五年一月中旬を過ぎても適職をみつけだせず、なすこともなくパチンコ遊び等で日を過ごし家に在つては始終父親から稼働を強く迫られ、これに堪えかねて、ひとり家族から離れ、福岡で暮したく考えるに至り、同年一月二一日午前一時過ぎごろ遂に家出を決意し、所持金もなかつたところから父親の自動車の中をのぞいた処鞄が見えたので、ドライバーで車のドアをこじ開け、右鞄の中から郵便貯金通帳(預金額一二万円)印章及び現金三万円を持ち出し(検察官主張の一の2の(二)の<1>の事実)、その足で小野田市内のホテルに赴いて宿泊し、夜明けと共に列車で小倉駅まで行き、同駅近くの郵便局で右貯金残額(一二万円)を引き出し、ついで福岡市に至り、アルバイトニユース等を手がかりに運送店で働くことを決め、同日(一月二二日)一旦実家(小野田市)へ引き返して衣類等を携え再び福岡市へ赴いたが、右就職予定先での給料(月額七万円ないし八万円)に不足を感じたとして結局就労せず、その後同市内で二、三か所仕事先を見出しはしたが、いずれも就職までには至らず、徒らに福岡市、小野田市、宇部市などを転転浮浪してパチンコ遊びをしたり喫茶店等で徒遊したりしていた。

しかしながら間なしに生活費に困り、同年二月一〇日実家に戻り、父親の留守に柱時計を持ち出し(同一の2の(二)の<1>の事実)、宇部市内の質屋へ二千円で入質したりし、同年三月上旬には福岡市東区香椎六一二の九林荘に入居し、そのころ同市内で数日間働いた(運送会社等)ものの、安定せず、同月二三日には再び実家に戻つて再度時計を持ち出そうとしたところ父親に発見されて果さず、当時担当保護司には福岡市内で働いている旨虚偽の申述をなしていた。

ところが、同年四月一二日午後五時ころ宇部市内のスーパー店舗内で、自己所有のテープレコーダーの性能と聴き比べをしたいとしてラジオカセツト一台(時価六万二、八〇〇円相当)を窃取したところを同店店員に現行犯人逮捕され、直ちに身柄を拘束され、同年五月二日宇部区検察庁において(山口赤十字病院医師により精神鑑定がなされ精神分裂症と判定されたこともあり)不起訴処分となつて釈放され、このとき担当主任官並びに担当保護司も被請求人が精神分裂症に罹患していることを初めて確知し、直ちに入院すべく被請求人にすすめたが、被請求人はこれに応じないでそれ以後実家にとどまり、同月中旬新聞配達の仕事に就いたが、配達に手間がかかり過ぎる事情もあつて数日位で辞め、同月二〇日には山口保護観察所へ出頭して主任官の面接を受け、その際改めて入院治療をすすめられたが通院で十分であるとして拒否し、生活態度を改善するため更生保護会への入会をすすめられたがこれも拒否し、同月二一日から小野田市松浜町小野田セメント内の西沢土木で包装工や雑役夫として働く旨確約し、加えて今後は、仕事を辛抱強く続けること、通院治療を励行すること、家に落付き各地を転転としないこと、毎月二回は保護司宅を訪問すること、他人の物に手を出さぬこと等を列記した誓約書を同主任官に差出してその旨誓約した。

しかしながら、右西沢土木では一日働いたのみで後は行かず、その後日雇仕事に二、三日出たほかは同年六月下旬に宇部市村上組の仕事で一日ほど下関方面に働きに出た程度にとどまり、父親から口やかましく徒食をたしなめられ、担当保護司からも度度就職を促されながら、仕事に出るために父親が折角支給してくれた交通費も即日パチンコ遊びに費消して夜遅く帰宅するなど、その生活態度は無気力で怠惰そのものの観を呈し、進んで担当保護司宅を訪問したことがないばかりか、同年七月四日同保護司が往訪した際も未だ寝ていたという有様で、その際同月七日山口保護観察所への出頭を指示された。

同月七日山口保護観察所へ出頭して主任官らの面接を受けた際、仕事に就いていないのは適職がないからで、働く気持はあり、父親がうるさいので気晴らしに昼間小野田や宇部の喫茶店へ出向いたり、パチンコ遊びをしたり、ときには外泊したりもするが、もう少し(一、二か月)見ていてほしい旨弁明し、結局生活指導の必要上更生保護会への入会を主任官から説得されて一応了承し、即日山口更生保護会へ収容保護された。しかしながら被請求人はかかる施設に収容されることはいかにしても納得できないとして同日夜(七月七日午後一〇時三〇分過ぎころ)無断で右保護会を脱出し、翌朝午前五時ころ実家へ帰り着いた(同一の2の(二)の<4><5>、一の2の(三)の各事実)。

かくて、被請求人はとにかく家を出、自己に適した職に就きたいと考え、そのためには車で就職先を探すのが能率的であるとして、自動車の運転免許は有しないものの、かつて無免許で一度運転した経験があるところから大丈夫だとして、同年七月九日昼間父親の自動車を乗り出したが、折から雨のため小野田市内でタクシーに追突して修理費約五万円の損害を与えたりなどした後福岡市に至り、同市内の職業安定所へ赴き、同月一一日にも再度同所へ赴き、結局同月一六日から新日本電気株式会社大津工場で稼働するように取り決め、その旅立ちの準備もあつて同月一二日午後零時三〇分ころ右自動車を運転して福岡から実家へ帰つたところ(その間夜は車内で寝る。)、父親に発見されたため、つかまつてはならないとて右自動車を発進させようとしたが、父親がバツクミラーを掴んでこれを阻止したので、慌てて後退発進させ、駐車中の単車や自動販売機、街灯等に次次と衝突させながら、父親が近隣の者のトラツクに乗せてもらつて追跡するのをふり切つて広島市まで走行し(同一の2の(二)の<3>の事実)、以後二日間同市内でぶらぶらした後同月一五日午後五時過ぎころ、身のまわりの品物を取りに帰戻した処を小野田警察署員により引致され、現在に至つている。

なお、被請求人は口頭弁論において、費用の問題が解決するのであれば、入院して精神科医の適切な治療を受けたい旨供述し、前記父親もそうさせたい旨述べ、また担当保護司においても入院治療の方向で費用の問題の解決等できる限りの援護を惜しまないとの人間愛に富む姿勢を示している。主治医である前記証人山田通夫も、専門医の立場から上来詳細に認定した保護観察の経過に現出している一連の問題行動ないし不適応行動(前示一の2の(二)、(三)の各事実を含む家出、徘徊、脱走、窃盗、無免許運転、不就労等)には、行動全体に統一性がなく、多分に衝動的短絡的で一貫性を欠いた支離滅裂な面があり、これは明らかに精神分裂症(破瓜型)の所産そのもの、ないしはその元にあると思われる妄想支配がその主要な原動力になつているとも診断できるところから、将来自身を傷つけ又は他人に害を及ぼす方向へ発展する可能性も十分に考えられ、速やかに、精神病院に入院させ、強力な科学的治療を施す必要がある旨供述している。

三  かくて、本件取消請求の当否につき考察する。

前段に認定したところから明らかなとおり、被請求人につき、そのおかれた極めて劣悪な家庭環境や、保護観察に付されながら法定の遵守事項並びに前記指示事項の履践を義務として負担するにはその精神的機能に著しい障害を有していたこと、つまり前記精神障害(破瓜型精神分裂症)の負因のため問題の行為に対する是非の判断と適正な行動統制能力が著しく減弱していたこと、当初この点に気付き得なかつた保護観察機関が、終始前記担当の主治医(山田通夫)との連携を全然図らないまま保護観察業務を進めて来た補導処遇の科学性の欠如等各種の悪条件や諸因子が相俟つて、本件保護観察を結局本来の軌道に乗せ得ないまま今日に及んでいるものである。この間右精神障害のもつ症状そのもの、ないしはこれを原因とする所産として、前認定の如き遵守事項違反の諸事実が発現したと解すべきもの(証人山田通夫、同村田正人の各供述)であつてみれば、責任主義の原理に照らしても右違反の諸事実の存在する側面を捉えて刑法二六条の二第二号に該当する事由があるとなすことは到底できない。幸い先にみたとおり本件請求を契機に、被請求人の入院に向けての関係者の協力が得られ、その実現が可能である情況にあるところから、速やかに被請求人を適当な病院施設に入院させ、何よりも先ず前記治療を受けさせて障害の除去をはからせ、傍ら保護観察機関において、緊張関係にある被請求人の家庭環境の調節や融和の作業をも進め、やがて執行猶予の期間内に被請求人が精神機能を回復し、保護観察の軌道に乗れる状態になつたときには、その特殊性に応じた適切な補導処遇をなし、もつて被請求人に対し真に更生の意欲をもつて再出発を期しうる機会を与えることこそ、刑政の目的にそうものであると考える。

以上の次第であるから本件請求はこれを棄却することとし、刑事訴訟法三四九条の二により、主文のとおり決定する。

(裁判官 中村行雄)

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